厚木ニューシティ森の里の開発

厚木ニューシティ森の里の開発計画は昭和 45 年ごろに持ち上がり、事業 主体が代わりながらも当時の宅地開発公団が昭和 54 年に「厚木市都市計画 事業森の里特定土地区画整理事業」として開発が開始されました。

1970年(昭和45年) 日本ランドシステムにより、開発計画が開始される。
1977年(昭和52年) 神奈川県より開発許可。
1978年(昭和53年) 日本ランドシステムから宅地開発公団に計画が引き継がれる。
1980年(昭和55年)6月17日 宅地開発公団による森の里特定土地区画整理事業が認可される
1981年(昭和56年)10月 住宅・都市整備公団が宅地開発公団の業務を承継した。
1982年(昭和57年) 青山学院大学厚木キャンパスが設置される。
1983年(昭和58年) 日本電信電話(NTT)厚木研究開発センタが開設される。
1984年(昭和59年)1月1日 神奈川県立厚木西高等学校が設立される。
1985年(昭和60年) 松陰女子大学(現・松蔭大学)が開学する。
1985年(昭和60年)4月1日 厚木市立森の里小学校が開校する。
1986年(昭和61年)4月1日 厚木市立森の里中学校が開校する。

森の里開発基本的なコンセプト

「緑なす大地に4つの機能が集まり、明日へはばたく複合型都市」

3つの土地利用形態から4つの都市機能が整備された研究学園都市です。

3つの土地利用形態とは、地区内を南北に走っている幹線道路「船子上古沢線」の東側に広がる誘致施設ゾーン。民間企業の研究施設や大学、高校などが建ち並び、森の里を大きく特徴づけています。

一方、西側は住宅地ゾーンとしてさまざまなタイプの住宅がならぶとともに、森の里のセンター地区としてスーパーマーケットや銀行、病院など生活を支える諸施設が並んでいます。

さらにこれらを囲むように従来の山、樹林をそのまま残した緑地ゾーンが広大に広がりをみせ、森の里の伸びやかで潤いにみちた環境を創出させています。

これらの3つのゾーンには、都市機能としての、リビング、パーク、テクノロジー、アカデミックという4つの機能が配置され、複合都市としての森の里が誕生しました。

(出展:「厚木ニューシティ森の里『複合都市の先駆け』住宅都市整備公団刊行)

地区計画:自然と調和した良好な市街地環境を形成・保全することを目標に、土地利用、緑化、地区施設、建築物などに関する整備方針が定められています。
ループ道路やフットパス(歩くことを楽しむための道)、グリーンベルトなどを整備し、車と歩行者の動線を分離し、安全で快適な街並みを形成しています。
西側の小学校や住宅地区では、地形が急なため階段の多い路となっていて、春、小学校の入学式にあわせたテーマ木として桜並木として表参道をイメージした路として整備されています。
階段は、人々の動作、物理的な動き安さ、心理的な抵抗感の軽減を考慮して、3・5・7段ずつ組み合わせて1構成として6箇所整備されています。また、乳母車、自転車用の斜路も併設されています。

厚木ニューシティ森の里のオブジェクト

「複合都市の先駆け」として、住宅・研究施設・商業施設・緑地が一体となった街づくりを目指しました。そのため、以下のようなオブジェクトが多く設置されています。オブジェクトの多さは単なる装飾ではなく、都市機能の一部として計画的に配置されているのです。

  • 都市景観の演出 : 街のアイデンティティを強調するため、彫刻やモニュメントが配置され、住民に親しみやすい環境を提供。(有名なのは「ふくろう」の石像モザイク画
  • 研究・学術施設の象徴 : 企業の研究所や大学が集まるエリアでは、知的な雰囲気を演出するオブジェクトが設置。(「風」をテーマにしたゲートモニュメント)
  • 自然との調和 : 既存の森林を活かした公園や緑地が多く、環境保護の観点からもオブジェクトが配置されている。
  • コミュニティ形成 : 住民の交流を促す広場や遊歩道に、ベンチやアート作品が設置され、街の魅力を向上。

主な誘致企業・学校

・NTT 厚木研究開発センター:通信技術の最先端研究を行う施設
・㈱富士通研究所:情報技術の研究を推進する施設
・㈱東陽テクニカ 電子技術センター
・キヤノン㈱ 中央研究所(平成9年(1997)撤退)
・栗田工業㈱ 総合研究所:水処理技術の研究を行う施設
・なかい学園 森の里幼稚園
・神奈川県立厚木西高等学校
・松蔭女子短期大学(現 松蔭大學)
・青山学院大学(昭和57年(1982)4月、研究学園都市「森の里」誘致施設の第1号であったが、平成15年(2003)撤退)

⇒ 森の里開発の写真集

コメント